シンポジウムⅠ 座長
永井優子(自治医科大学 看護学部)
田上美千佳(千葉大学大学院 看護学研究院)
1991年に発足した日本精神保健看護学会(初代理事長:稲岡文昭名誉会員)は、2017年6月に法人化し、今年は創設から34年目を迎えた。本シンポジウムは、本会の創設や発展に大きな貢献された3名のシンポジストの発表を踏まえて、精神保健看護学の更なる発展のためにいま取り組むことができることについて、参加者とともに語り合うことを目的として企画されたことが田上座長から説明された。本稿では、シンポジストの発表内容、さらに課題や希望・期待を中心に報告する。
最初に、今年度の瑞宝中綬章を叙勲された南裕子名誉会員(本会設立発起準備委員、看護未来塾世話人代表)から本会の創設の力になったこと、創設の意味と課題について簡潔に説明がなされた。「保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則(以下、指定規則と略す)」1989年改正で精神看護学が柱立たなかったこと(新カリショック)は本会創設のきっかけであったが、本質的な原動力ではなかったという。南氏の個人史や体験を交えて、学会創設の源流の一つとして、高等教育においては常勤の専門教員が精神看護学を看護学の一つの柱として教授していたこと、および1960~70年代のアメリカで精神看護学に関連した看護研究でなければ研究助成が受けられず、精神看護学は看護学全般にわたる分野であるという流れがあったことが説明された。さらに1980年代後半から、日本の精神看護学の分野では、精神看護学が学問分野の一つとして存在し、誇りに思う人たちの縦(師弟関係および先輩・後輩の関係)と横(組織を超えたリーダーたちの相互交流)のつながりがあったことがもう一つの原動力であったことが説明された。
次に、中山洋子会員(本会第3期理事長、現文京学院大学大学院教授)から、精神看護学の確立と精神看護専門看護師制度の発展に本会が果たしてきた役割について簡潔に説明された。中山氏は本会創設時には、聖路加看護大学(現聖路加国際大学)の教員として留学中であり、1992年に帰国して第4回学術集会頃から本会で活動された。まず、第二次世界大戦の終戦後の「指定規則」制定から1996年改正で精神看護学が柱立つまでの看護基礎教育のカリキュラム内容の変遷について解説され、1980年前後に大学院看護学研究科修士課程で精神看護学が教育されていた流れと呼応していないことの指摘がなされた。日本看護協会では1987年7月に南副会長が専門看護師(以下CNSと略す)制度設立への尽力を始め、中山氏は1995年11月に精神看護学の分野特定に向けて尽力して、2000年以降日本看護協会は専門分野特定とCNS個人認定を日本看護系大学協議会(以下JAMPU と略す)はCNS教育課程を認定することになった。また、中山氏は精神看護CNSの中心はmental health nursingを基本として、3つの専門性(psychiatric consultation-liaison nursing, psychiatric nursing, community mental health nursing)ののいずれかを重視していると考え、精神看護CNS436名(2023年12月現在)でpsychiatric nursing領域でも訪問看護の従事者の増加を指摘した。中山氏は施設内に限らず広域で働く幅を広げるためにCNSの英語表記はCertified Nurse Specialistとしてアメリカの“Clinical”としなかったと記憶されており、JAMPU は現在高度実践看護師教育課程と名称を変更して新たな段階になっていることを説明された。
続いて、武井麻子会員(本会設立発起準備委員、第4期理事長、現Office-Asako代表)が本会創設時の学術集会を振り返った。東京大学医学部保健学科で看護師免許を取得し、海上寮療養所(千葉県)で看護師資格を活かして12年間リサーチワーカーとして勤務後、看護系短期大学で2年間「精神保健」を担当して1990年10月に日本赤十字看護大学の精神保健看護学助教授(現准教授)に着任したという。本会学術集会第1~4回のテーマが紹介され、特に第4回は宇都宮病院事件による1988年「精神保健法」制定を踏まえ、人権擁護が看護師の肝で包括的なメンタルヘルスの視点からシンポジウム「患者の意思決定を支える看護とは」を企画したこと、その後「精神看護の専門性」に関するテーマが続いたことが説明された。第13回は武井氏が学術集会として参加者の増加に対応して初めて民間会議場で「精神看護の経験を語ろう」をテーマに行い、社会学的視点を入れたり、自分たちのケアを語ろうというナラティブのシンポジウムを企画した。武井氏以外で語りをテーマとした第23回「“語り”の後の精神保健看護を語ろう~試される未来へ向けて~」では、対話シンポジウムという、リフレクティンググループ技法を用いたアクティブな参加型の画期的企画があった。元来本学会は語り合うことを大切にしており、当時、一般演題は、1題30分間であったが、参加者の増加に伴って時間が短くなり、一方でワークショップが増えていった。武井氏はワークショップの数が増えて、仲間同士以外の交流ができるのか危惧しており、本会の語り合う学会という特徴を維持することを期待しているという。また、働く人のメンタルヘルスの悪化と新型コロナウィルス感染症によって閉鎖的で絆が削られて恐怖と孤立感で無力感を強く経験したスタッフのトラウマの相談が増えており、このような問題を本会で取り上げてほしいが、学術集会の企画としては機動性に欠けることもあり、今後の課題として提示された。
フロアディスカッションでは、まず南氏からCNSの英語表記について、看護師の診療の補助行為の役割拡大を想定して‟Certified”としたことが追加説明された。
続いて、フロアから実践の場ではCNSの不在や本会では広まっている「リカバリー」概念が知られていないという課題があることという意見があった。これに対して、南氏は自身の第二次世界大戦の経験と災害看護学会の経験を踏まえて、コロナ禍を総括してできる人がやれるところから痛みを振り返り語ることの本会への期待を語った。武井氏は「組織のコロナ後遺症」をテーマに話す機会が多く、心理的安全性が脅かされていることとの関連を語った。中山氏はコロナ禍で精神看護CNSが所属外施設の看護部長のコンサルテーションを行っていた事例から、看護師が組織や地域を超えてさまざまな形で看護師を支えあう体制をもっと自由に作るなど全体的に考えることへの期待を語った。認知症病棟や精神科閉鎖病棟における感染対策で大変な思いをした看護師の語りの記録を残して、いつになるかわからないが共用化できることの期待も語られた。加えて南氏は今できることを語り始めて、継続して何年も積み重ねていくことが総括につながるという考えを述べた。
さらにフロアからコロナ禍における隔離の必要性について患者や家族の権利擁護の視点から検討することが本会に求められているという意見があった。南氏は本会には社会に向けて家族との断絶を患者に強いたことの総括をして、本会が作成して成果を上げている看護師を支えるガイドライン(筆者注:「精神科病院で働く看護師のための災害時ケアハンドブック」)のようなまとめができることの期待を語った。中山氏は地域のサポート体制が全くない状況で家庭での看取り経験から、地域の支援・医療体制の補強と、生じたできごとをネガティブに考えるのではなくポジティブに変換するという発想の転換の必要性に言及した。また、本会で実践的な多くのケア技術や方法をもっておくことの重要性にも触れられた。武井氏は、私たちはコロナ禍で簡単に人権意識を失ってしまうことがわかったと述べ、自分たちの中にある人権意識の軽さについて警鐘を鳴らした。
本シンポジウムで語られたことの背景については本学会20周年記念誌に創設時の状況が詳述されているため、参考にしていただきたい。また、学会誌にはシンポジストの発表も含めて掲載される。これを契機に、会員の皆様には、本会のこれからについて語り合って考えて実践していくことを座長としても期待している。